国立医学部生masoの日記

思ったことをだらだら垂れ流します

生物前提なん先言って

受験勉強に明け暮れようやく医学部入試を通過した喜びも束の間、医学部生が直面する最初の壁があります。

それが生物です。

 

入っていきなり解剖や実習をやるわけにはいきませんから、医学部の一年前期は高校生物+αの内容で細胞や遺伝などの生命に関わる基本事項を学びます。

これが物理選択者にとってはかなりきついんです。当たり前のように知らない用語が飛び交います。知らない用語で知らない用語の説明がなされ、それが知らない用語で補足されるなど、数珠繋ぎのように知らん用語が続いていきます。医学部生なら誰もが一度は生物選択者のことを羨ましく思った経験があるでしょう。

 

基本的に大学側から物理選択者への救済措置は与えられません。必然的に自力で高校生物を学ぶか、生物選択者の知り合いを作っておいてその人から教えてもらうことになります。

医学部生が乗り越えなくてはならない最初の壁ですね。

この壁を越えた後にも膨大な量の暗記、度重なる試験、解剖・・・など次々に苦難が降りかかってきます。受難の多い医学部生は学年が上がるごとに篩にかけられ、その度に脱落者が現れることになります。。

自分の大学は割と緩いのですが、カリキュラムのきつい大学の様子を見てるとマジで大変そうです。カリキュラムの緩さってのも、医学部を選ぶ際の重要な基準になりそうです。

 

ここまで記事を読んでくださりありがとうございました‼︎

医学部を目指す受験生の方がいらっしゃれば是非参考にしていただけると嬉しいです。

 

 

合格に必要な力〜典型問題・標準問題〜 vol.1

こんにちは。masoと申します。

 

まだブログというものに慣れていない今回の記事ですが、受験のことに関して書いていこうと思います。上位国立医学部(医科歯科、千葉、神戸…のような旧帝ではないもののそこに匹敵する難易度の医学部)に合格した自分の経験をもとに何か伝えられたらと思います。

 

大学合格、特に難関大学を志す受験生の方に問いたいのですが、志望校に受かる上で最も重要なことは何でしょうか。もっと詳しくいうと、試験で合格点を取る上で一番大事なことは何でしょうか。試験では難しい問題が出題されますよね。難関大に受かるとなれば、そりゃあ難問もゴリゴリ解いていかなければ受からないだろうと考える受験生の方は多いと思います。やはり難しい問題を解けるようになることが、受かる上で最も重要なことなのでしょうか。

くどい疑問系を並べてすいません。こんな書き方をしてしまえば、後で主張される内容は前文の否定だとすぐに分かってしまいますよね。こんな胡散臭いセミナーのような文章など書きたくはないのですが、慣れておらずこのような文体になってしまい申し訳ありません。

 

本題に戻りますが、合格において最重要となるのは難問を解くことではないと自分は思っています。一番重要でかつ確実なのは、難問を解くことではなく、

「典型・標準問題を落とさないこと」

これに尽きます。本当に。

合格を左右するのは難問ではないんです。なぜなら難問は一部のレベチを除く殆どの人が解けないから。実際に合格か不合格かを分けるのは典型・標準問題の出来であり、典型・標準問題を解き切れば難関大学といえど合格点に届きます。しかも難問が解けるようになるまでにかかるコストよりも典型・標準問題を固めるのにかかるコストの方が低くすみます。それにも関わらず、多くの受験生が典型・標準問題をおろそかにしたまま受験に臨み、玉砕し屍の山を築くことになるのは何故でしょうか。

 

要因の一つに、典型・標準問題に対する認識の差異が挙げられると思います。

 

多くの人が勘違いしがちなんですが、典型・標準問題とは決して「簡単な問題」のことではありません。

典型・標準問題とは、

「その問題を解くための手法が体系化されており、類題の演習を通して攻略できるような問題」

を指すというのがここでいう典型・標準問題の定義です。

 

要は、テキストや問題集に類題が載っているような問題ということです。

例えば、理系難関大を受験する人達にとって必須とも言える逆像法の問題は青チャートやプラチカ大学への数学と言った超有名問題集に必ず収録されています。逆像法の問題を解いたことがある人はよくわかると思いますが、逆像法の発想を初見で思いつくのは至難の業です。自分も勿論そうですし、東大京大に受かるレベルの人達でもきついでしょう。しかし上記のような問題集で類題経験を積めるからこそ、発想自体は高度でも典型・標準問題に該当するのです。発想自体が高度でも知ってさえいればどうってことないのです。逆に言えば、知らなければ即アウトです。仮にあなたが試験本番で逆像法の問題に初見で出くわしたとしたら、大問1つ丸々失うことになります。しかし問題集等で類題経験を積んだライバル達は、ここで一完を確保していきます。典型・標準問題を知っているか否かで合否に直結する差が生まれるのです。

典型・標準問題を抑えることがいかに重要かご理解いただけると思います。

 

さて、今回の記事では合格に必要な力というタイトルで、典型・標準問題の重要性について導入的なことをざっくりと述べさせていただきました。正直上で述べた内容は難関大を志す受験生なら結構な割合が意識しているような基本的なものなのですが、知らずに本番に特攻してしまうような人もやはり一定数いるわけなので警鐘の意も込めて記事にしました。

今回はぼんやりとした内容に終始してしまい実践に活かせるようなことをあまり書けなかったのが反省です。

次回以降は、

・各教科ごとにどの問題までを典型・標準問題と定めるのか

・実際の入試問題から、典型・標準問題に該当するものを抜き出してみる

など、より実践的なテーマで内容を深めていく予定です。

 

拙い記事ですが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

容易に許容可能な別世界(今週のお題より)

今週のお題「SFといえば」

 

目の前の便利な箱で「SF」と打ち込むと、=空想科学と返ってきました。インターネットはこのように手軽に入力し手軽に結果が返ってくる点が魅力ですよね。これがSNSともなると入力に対して想定した強度を超えた反作用で結果が返ってくることもあり、それが面白さであり難点でもあると思います。

 

SFは私達に適度な強度の刺激を与えてくれます。SFを見る、または読む時、私達は現実から離れた別世界に連れ去られることを自らの意思で望み、SFの世界を積極的に受け入れる体勢を整えます。結果、SFは私達が用意した器の中でその容積を超えることなく過不足なく消化され、また私達もそれを望みます。現実とはかけ離れているはずのSF=空想科学の世界は容易に許容されてしまう訳です。

私はSFから、もっと許容し難いものが登場しても良いと考えています。容易に飲み込まれ消化されてしまうようなものだけではなく、拒否反応を催させ最後まで飲み込むことを許さないような異物としてのSFの形があっても良いような気がしているのです。

一方で、完全な意味で異物として存在できるSFなどないことも承知しています。

異物を生み出そうという狙いで作られた異物が完全な毒性を帯びることなどなく、また異物という立ち位置が持つ機能や存在価値が評価され分析されるに当たってもはやそれは異物ではなくなるからです。

私達の社会は、今や異物の存在を拒むほどに強力な消化能力を有するようになりました。それは大量消費社会に生きる人々の際限ない欲望がもたらした帰結だとも言えます。毒性の存在を許容しない別世界へと、私達の世界は変容してしまったのです。

 

容易に許容可能な別世界で生きる私達に、果たして何ができるのでしょうか。

 

 

 

 

 

お題から記事を書き始めたのですが、段々とSFに限定されない話題へ移ってしまいました。SFである必要性がないという点できちんとお題を消化できたとは言えませんね。

雀魂が勝てない

雀魂が勝てません。。。

四麻だと一試合に30分程度とかなり重いので三麻でさくさく楽しんでいたのですが、雀傑に上がってから沼るようになりました。1位と3位を行ったり来たりしているため勝率グラフがサインカーブを描いています。一番の要因は単なる勉強不足から来る実力の欠如なんでしょうが、三麻って四麻と比べて運要素強すぎませんか?自牌の引きが悪い時に相手の単騎待ちロンで軽く10000やら20000やら持っていかれるのは納得がいきません。麻雀はよく運4割(3でしたっけ?曖昧)のゲームだとか言われますが、三麻だと運要素に勝るために求められる実力が四麻より高い気がします。ていうか1人少ないんだから数学的にもそりゃそうなるんだろうけど。てことは雀傑で勝ち上がっていくために必要な実力は四麻より三麻の方が高くなるんでしょう。そんな考えで今は時間がかかれど四麻でプレイしています。こちらの方がマジョリティなんだから標準への回帰に至っただけなんですが。四麻の方が雀傑以降も勝ちやすいはず。夏休み中の目標の一つとして、雀魂で雀豪行きたいなあ。。。

曖昧性の被虐.vol1

蒙昧とした記憶を辿っていくとある地点でショートが起きる。永遠に続くかとも思われた懐古の旅は突如として現れるその火花の衝撃を受けて呆気なく崩壊し、私は再び現実へと引き戻される。目の前の交差点はたった今青に切り替わったようで、私は宙ぶらりんになった意識の再構成に手こずりながら、数メートル先の対岸へと足を踏み出す。何処からか響いてくるクラクションの音もすりガラスにかけたかのようにぼんやりとしていて、判然としない輪郭に内包する怒号のニュアンスだけが鬱陶しく反響する。いつからか習慣をなぞるだけになった日々は彩りとはかけ離れているが、かといって致命的な程でもない。

はじめに.

こんにちは。masoと申します。

 

初めてのブログということで書く内容に迷いますが、とりあえず軽い自己紹介をさせていただきたいと思います。

 

まず自分が何者なのかというところに関してですが、ブログ名にも記している通り国立医学部に通う大学生です。自分という人間が持つ性質の中で最も分かりやすく、かつコンテンツとなりうるものが「医学部生」の属性だと思いましたのでブログ名に含ませることにしました。今後何を取り上げて記事を書いていくのかは定まっていませんが、取り敢えず医学部受験を始めとした大学受験についての経験を記事にしていきたいと思います。可能性は低いと思いますが、大学受験のことについて何か私に書いて欲しいという受験生の方が万が一いらっしゃればコメント下さい。

 

ブログを書くからにはやはり誰かに見て欲しいという気持ちもありますが、自分の場合はそれよりも自己満の側面が大きくなるかなと思います。自分の内面や思考を外に発信するという行為は、その対象がインターネットという不安定で曖昧な存在であったとしてもある種の自己承認欲求を満たすものでありますし、言語化することで自分の頭を整理できる利点もあります。またここまで読んでいただければ分かる通り自分は文章を書くという行為が得意ではないので、その練習にもなるかなとぼんやり思っていたりもします。

 

このようなふわふわしたモチベーションでだらだら記事を書いていこうと思いますので、目を通していただける人がいらっしゃるのであればどうかあたたかい目で見守ってください。よろしくお願いいたします。